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イ・チャンドン『バーニング 劇場版』感想といろいろ*ネタバレあり

バーニング劇場版」(ネタバレ)これは村上春樹ワールドへのアンチテーゼかも? - そんなには褒めないよ。映画評

 

 

『バーニング 劇場版』

2021年、1本目の映画です。ユ・アインが好きで、前から気になっていた本作を鑑賞しました。原作は、村上春樹の『納屋を焼く』です。原作は30ページから成る短編。それを148分の長編にリメイクしています。鑑賞直前に原作があること、しかも、村上春樹の作品だということを知りました。これは一筋縄ではいかない、、。

 

あらすじ


村上春樹「納屋を焼く」を実写化『バーニング 劇場版』予告編

小説家を目指しながら、バイトで生計を立てるジョンス(ユ・アイン)は、偶然幼馴染のヘミ(チョン・ジョンソ)と出会う。ヘミからアフリカ旅行へ行く間、飼っている猫の世話を頼まれるジョンス。旅行から戻ったヘミはアフリカで出会ったという謎の男ベン(スティーブン・ユァン)を紹介する。ある日、ベンはヘミと共にジョンスの家を訪れ、自分の秘密を打ち明ける。“僕は時々ビニールハウスを燃やしています”―。そこから、ジョンスは恐ろしい予感を感じずにはいられなくなるのだった・・・。

filmarks「イ・チャンドン『バーニング 劇場版』

 

キャスト

イ・ジョンス * ユ・アイン

シン・ヘミ * チョン・ジョンソ

ベン * スティーブン・ユァン

 

感想といろいろ

謎は謎のまま。始まったのか終わったのか分からない。そんな作品。

 

「ミカンが"ない"ことを忘れたらいい」

 

ヘミのこの台詞に鳥肌が立ちました。

そして、この言葉がこの作品の核になるのだということも。多分。

 

「ないことを忘れる」ということは、つまり、「ない」ということを「ある」と認識するということ。

 

ヘミが飼っているという猫のボイル。

ヘミが落ちたと語る水のない大きな井戸。

そして、ベンが燃やすという目障りなビニールハウス。

 

最初はジョンスも不思議そうな視線を彼らに送っている。

しかし、徐々にその「ない」ものを「ある」と感じ始めるジョンス。

そんなとき、ヘミが忽然と姿を消す。

 

「僕はヘミを愛してます」と、語るジョンス。

しかし、ジョンスが探しているのは燃えたビニールハウス。

燃えたビニールハウスを探しながら、ヘミを探している。

 

ヘミはたしかに存在していた。

しかし、燃えたビニールハウスは存在するのか、しないのか分からない。

存在すると思いたい、けれど確証がない。

 

「大事なのは 食べたいって思うこと」

「そしたらツバが出て 本当においしい」

 

燃えたビニールハウスはあるんだ。

燃えたビニールハウスを見たい。そんな欲。

 

「3番 家はどこ?」と、番号で呼ばれる。

自分の存在はここにあるのに。

「ない」ものを「ある」と信じるジョンス。

「ある」ものを「ない」とするやつら。

このもどかしさ。どこへもぶつけられない、不安や怒り。そんな感情。

 

ジョンスはこの曖昧という霧の中へ迷い込んでしまったように見える。

 

そんなジョンスの前に現れたのは、ボイルと呼ぶと反応する猫。

ベンの家の引き出しで見つけた、ヘミにあげたはずの腕時計。

 

このとき、ジョンスは見つけてしまったのかもしれない。

怒りのぶつけどころを。

世界が見向きもしない、僕という存在を。

ヘミという存在を。

「ない」んじゃない、たしかに「ある」だ。

 

ジョンスはベンの腹部を何度も刺し、

ベンの語っていた通り、「石油をかけて、マッチを投げれば――」

 

ただ、ここでジョンスが殺人を犯したのかというと、それも少し違う気がする。

 

ベンはジョンスの中にあるもう一つの何か。

ジョンスはそれを殺したのではないだろうか。

 

燃えるビニールハウスを見るジョンス。

赤く染められた作品を見るジョンス。

 

この「燃える」や「火」はどちらかというとジョンスに結び付けられている。

「赤」から連想される、血や肉、生きる力。

「骨の髄まで響くベースの音」と、語るベンの言葉。

ジョンスの中にある生命力。そして、それとともに隠されている衝動。

このどうしようもない怒りや不安を排除しようとするジョンス。

 

「役立たずかどうかは ベンさんの判断?」と、聞くジョンスに対し、

「判断はしません ただ受け入れる "焼かれるのを待ってる"と」と、答えるベン。

 

ジョンスは自分の中に眠る「赤」を「焼かれるのを待ってると受け入れた」のだろう。

 

ヘミやベンと出会い、衝動を知る。

ヘミが消え、感情が溢れる。

だから、ベンを殺す。

 

自然の道徳。

 

現実と空想が交差する物語のラスト。

あのラストを現実と捉えるか、空想と捉えるかはこちらに託されている。

 

ヘミの部屋で小説を書く姿からベンを殺す姿は、きっとジョンスの小説なのだろう。

ベンを殺すことで完結するのだろう。

しかし、だからといってジョンスの人生が終わるということは決してない。

ヘミが消えたという喪失感。

ベンという生命力。

これらはジョンスの中に留まり続けるはずであるから。

きっと、ジョンスはヘミやベンと出会う前の日常を繰り返すことになるのだろう。

本作が韓国の格差社会を描いているのであれば、そこへ戻る。

これこそ残酷以外のなにものでもないのかもしれない。

 

この物語はすべて私たちに託されているのだ、と思う。

 

最後に

村上春樹の作品はどれも未読。唯一、村上春樹が翻訳した『グレート・ギャツビー』のみ拝読。映画は、トラン・アン・ユン監督『ノルウェーの森』のみ視聴。

こんな感じで村上春樹作品には全くと言っていいほど触れてきていないのですが、周りから聞く村上春樹らしさは出ていたのではないかと思わせられる作品でした。しかし、だからといって村上春樹色に染まっていたわけではなく、しっかりと韓国映画として成り立っていたとも感じました。

 

そして、ユ・アイン。さすがの演技でした。大好きが増しました。

ありがとうございます。

 

村上春樹の『納屋を焼く』も読んでみたいと思いました。

イ・チャンドン監督は前から『オアシス』を観たいと思っていて。いつか。

 

『バーニング』鑑賞中は、何が何だかさっぱりでしたが、落ち着いて考えてみると、考察しがいのある作品でした。結局、答えはそれぞれに託されてしまうので、はっきりとはしませんが。もっと深く考えれば、もっと面白い解釈が見つかりそうです。

 

ご精読ありがとうございました。

(敬称は省略させていただいております)

 

 

 

SAN